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いつもぐるぐるしている

お盆の季節になると、余計に亡くなった人達の事を考えてしまうから嫌い。

私達は今を生きていて、もう過去になってしまった人の事を考えていたらしょうがないのだけれど、それでも、楽しかった思い出だとか、そうゆうものが溢れでてきて辛い。

普段過ごしていても、ふと、亡くなった人の事を思う事があるけれど、そこまでは思わなくて。お盆になって、これは死者の為の催し物なのだな、と思うと、不思議で不思議で。やはり魂だとかそういった類いのものは存在するのだろうか。

 

私は、冷たい考えの持ち主で、皆死んでしまったら何も遺らないのだよ、魂など無いのだよ、それは遺った人達がせめてもの、と考えだした物なのだよ。と。

骨になってお終いだ。

若い方が亡くなると、どうしても、まだ若かったのにだとか、これからが~など、話されるが、それはその人の運命であって、生まれた時からもうその人にその先なんてなくて、そこで終わっているのが決められていると思っている。

未来を思うから、だから辛くなる。

たられば、の話だ。

ぷつんと、そこで命が終わる事が決められているのだよ。

仕方の無い事だ。

 

と、私はこうやって考えているのが本心なのか、こうやって考えなければやっていけないのかがわからないが。

 

あぁ、

ずっと続けば良いのにね。と、思っていた時期もあった。

どんどん変わってゆく。

私も大人になってゆく。否、もう大人だ。しっかりしなくてはいけない。

いつまでも子どものままではいられないのだ。それなりの対応だとか、しなくてはならないのだ。

知らないで済まされる年齢ではないのだ。

だから、逃げたくなる。ずっと子どもでいたくなる。ぽけーっと座っているだけでちやほやされて、ちょっと挨拶しただけでいい子だねーなんて言われて、そんな、そんな過去を今でもたまに思ってしまう。莫迦だ。

 

周りの皆が先へ先へと進んでいって、取り残されて、焦っている。

精神年齢が明らかに幼いのはわかっている。

私はこの先どうしたいのだろう。そんな事を考えているとまた、逃避したくなって、堕ちてしまうのだ。

明日の事だけ考えていれば良い。私には今、それが精一杯。

過去の事なんて振り返っていてもしょうがなくて。皆に置いて行かれている分、これ以上遅れは取らないように。他の人と接して、学んで、生きてゆく。

 

私は亡くなった人の命日ではなくて、誕生日も大事にしたいと思っている主義なのです。それでも、どうしても忘れてしまって、命日だけが頭に残っているのだけれど…。

亡くなった日よりも、この世に生まれてきた日の事も、大事にしませんか。

手帳に書いている日記があるのですけれど、昔は毎日びっしり書いていたのに、段々それに割く時間を他にまわしてしまって、空白のページが増えていって。

今、それを少しずつ振り返りながら埋めていっているのですけれど、色々な事があったのね。何処へ出掛けたとか、誰と、とか、何が届いた、とかはメモしてあるので大体それを目安に書いていくのですが、これ、自分が死んだ時に他の人に見られたくないなぁ…といつも思うのですよね。

ここも同様ですけれどね。

自分のその時の気持ちが他の人に晒されるというか、ものすごく恥ずかしい。

内容によると思うのですけれど、あとは見られる人。どうなのかしら。

だから交通事故などで突然死はやめて欲しい。

それなら自殺なり、寿命なりで死にたい。

きちんと身辺整理をしてから死にたい。死んでしまってこの世からいなくなってしまえば、恥ずかしいだとかそんなものないのだけれど、それでも嫌だな。

日記を勝手に公開されている人達がいるじゃあないですか、アンネの日記だとかなんだとか。あれ、本人からしたら勝手にやめてくれ!!!ですよね。

あぁ、

そしてまたこうやってここに書いている時間、手帳への日記が書かれていない。

直近の日記は書いたのですけれど、メモ程度に残しておいたものが書かれていないです。

なんだかんだで日記、おもしろいですよ。

寝る前にちょこっと書けば良いだけなのですよ。

その日あったインパクトあった事だとか。

1ヶ月でも経って読み返した時に、あぁ、こんな事あったんだ、って思うはずですから。懐かしいなぁ。っと。

 

ま、これは私の場合ですがね。

今回は日記についての記事で良かったのかしら。

こうやって毎日毎日色々な事柄があって、君の事を考える時間が自然と減っていって、それで、そうやって、過去に過ごした中の1人になるのね